駄:文章を書く際に勉強になったハナシ。
今回は、学生時代に「おお、なるほど」と感心し、それ以降ワタシが文章を書く上での大切なルールとなり、気付けば持論にもなった事についてお話したいと思います。
ン10年以上?昔、高校生の頃の話だ。
ワタシは美術部(こちらは先輩の口車に乗せられた流れで入った)と文芸部に所属していた。
自ら進んで入ったのもあり、何故か文芸部では頑張っていたように思う。
その部には小説家やエッセイスト、あるいは雑誌編集部を目指している先輩が複数居たので、部活も楽しかった。
そして顧問の先生は、いきなりアニメなどの今で云うところの〝推し〟キャラの話を熱く語り始めたり、大学では登山部だったからか山での怖い体験談を良くしてくれる〝おもしろい人〟だった。
※ちなみに彼は落語同好会の顧問でもあり、何故かワタシを良く勧誘してきた…なんでやw
そんな彼が、ある日のミーティング中に自分の経験談を交えつつ、こんな話をしてくれた。
「まぁ、自分の持論なのでアレなんだけどね」
…と最初に断りを入れつつ「文章(物語)を綴る際はね、と話し始める。
文章はまず最初は三人称で書けと。
これは難しかったり面倒だったりもするが、文章を書く上での技法の勉強になるからね。と続けた。
そして話し始めた。
以下、要約っぽい内容。
- 一人称は書きやすいし、初めて物語などを書く時はそこから始めると良い。
しかし一人称ばかり書いていると、いつまでも登場人物の描き分けや状況・舞台背景の説明が上手く説明出来ない物書きになってしまう。
※一人称が悪い訳ではありませんよ。凄く上手い演出法で読み手を引き込む作家さんも沢山います - 短い話であれば問題ないかも知れないが、長い話を書くのであればまず導入部として時代背景や舞台説明などは必ず入れるべし。
- もちろん登場人物の説明は必要だが、話の流れに上手く挿し込んでいかないと「誰が誰か」判らなくなるから注意しよう。
- セリフばかりだと芝居の台本みたいになるから、必要最低限に。
- 改行は大切。
- 難しい漢字を使うのが偉い訳では無い。下手をすれば読み手が離れていくので程々に。
- 演繹法は、次々と話を考えていくスタイルなので在る意味楽だが、常に全体の話の流れや矛盾が起きていないか把握する事が大切。
- 逆に帰納法は、大きな話をまず考え着地地点を決めた後で話を仕上げていくスタイルだが、少し難しいがオチに向かって進むので面白い。
- 仕上がったと思ったら1日置いて改めて推敲する事!時間を置くのは、〝一旦離れて自分の文章を冷静になって読む為〟だ。
…そういうことを言っていた。
かつて小説家を目指し挫折した彼が語った重く、ためになった話だった。
あくまで彼自身の持論なので、「絶対にこうだ」とは一概には言えない訳ですが、ワタシが以前同人誌で小説を書いていた頃の参考にさせて貰っていました。
そして昨今、ライトノベルなるジャンルが生まれ・主流となっている様ですよね。
すると、先述したものからは若干外れてしまう事柄もいくつかあると思います。
いわゆる「古い手法」と化しているのかも知れません。
でも、基本の基本だとワタシは考えているので、最低限のルール的に考えています。
ところで、小説などの〝お話〟ではなく、エッセイやWEBライティングの場合は、これとはまた別に「やってはいけない事」や「こうしましょう」的なものがありますね。
それらについては、通信講座でイヤというほど勉強させて貰い、当時の自分のやっていた事がことごとく間違っていた事に気付きました(汗)。
そして、すったもんだの果てに…講師に褒めて頂く事ができ、やっと最低限のレベルまでには多分なれたっぽいと思っています。
…おそらく(^^;;
※ですんで、通信講座を受講前の古い文章と受講後の文章では若干の文字の流れには違いがあります…と思ってる(^^;;
そして、最後にワタシの持論。
絵ではなく文章でも、ページを開きパッと目に飛び込んでくる文面は「美しくなければいけない」だ(笑)。
だらだらと1行が異常に長いものが続くと、読み手はすぐに疲れて読んでくれなくなる。
ま、そんなお話でした(^^;;